ヒストリーHistory

京都ゴルフ倶楽部は太平洋戦争後に建設され、上賀茂コース(かみがもコース、旧・東コース)、舟山コース(ふなやまコース、旧・西コース)を有したゴルフ場です。 終戦を境に、アメリカ合衆国を中心とした連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)軍政部から、「軍人のレクリエーションに」京都市内にゴルフ場を建設する計画が進められ、赤星四郎設計、鹿島組施工による総工費2億7千万円という大プロジェクトとなりました。



第二章 膨大な費用によりプロジェクトの中止

一時は、膨大な費用がネックとなって、GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーからの中止命令や、上賀茂神社関係者からのGHQへの直訴を受けて、一連の建設関係者が査問されることとなり一度は暗礁に乗り上げたかに見えました。


しかし再三にわたる神社関係者への説得と、「ゴルフ場が京都の将来の観光資源になる」と期待する京都府知事の木村惇(当時)が、日本側の首脳責任者としてGHQへの矢面に立つとともに、数々のゴルフ場を手がけた安達貞市(後に当倶楽部理事長に就任)による、コース施工の引き受け、官民のチームワークにより、晴れて契約が締結される運びとなりました。


第四章 日本で戦後初の新築ゴルフコース

そして、1948年(昭和23年)7月に6ホール、10月に9ホール、翌年3月には18ホールが造られ、日本で戦後最初の新築ゴルフコースが京都の地に完成し、1950年(昭和25年)朝鮮戦争による戦争特需で会員数の急増により、1958年(昭和33年)に西コース(現・舟山コース)が新たに着工され、1962年(昭和37年)に今の形として完成を見ました。


第五章 日本ゴルフ界の先駆け

その後、日本で初めて株式会社方式での運営、法人会員制度の導入の実施、日本独特の女性キャディシステムの廃止、セルフプレー方式や4人乗り電動乗用カートの導入など、日本ゴルフ界の先駆けとしての責任を果たして来ており、これからもこの伝統を守り続けていく所存です。